代表プロフィール

ピタッと採用株式会社 代表取締役 武田 直人の歩み

代表取締役 武田 直人
Representative Profile

武田 直人

代表取締役 / Naoto Takeda
01 幼少期 ── 五人兄弟の三番目として

5人兄弟の3番目に生まれました。裕福ではないごく普通の家庭でしたが、上にも下にも兄弟がいる環境で、自然と「周囲の空気を読む」ことが身についていったように思います。目立ちすぎず、でも埋もれない。そんな立ち位置が、のちの仕事のスタイルにもつながっている気がします。

母方の実家は「医王寺」というお寺を営む家系でした。子どもの頃はただのお寺だと思っていましたが、「医」という字がお寺の名前に入っていたことに、今になってご縁を感じます。気づけば医療の現場に寄り添う仕事をしている。導かれていたのかもしれません。

祖父は大企業の役員、父も後に役員へと出世していきました。祖父と父が話しているのを聞いていると、経営の話ばかり。それがいつしか経営者を志す原点になっていたのだと思います。

子どもの自主性に任せる家庭で育ったので、父から指導されることは多くはありませんでした。それでも「正しいことをしろ。卑怯なことはするな。」という言葉は今も仕事の判断軸になっています。

転勤族だったこともあり、各地を転々としました。なかでも石川県・金沢市に暮らした時期は強く印象に残っています。金沢城の麓で過ごし、学校ではお寺の研究をしたり、日本の伝統文化を肌で感じたりと、小学生ながら「日本らしさ」をじっくり吸収した時間でした。その後、埼玉へ転居し、都市のリズムも知ることになりました。

もう一つ、歯への意識は幼い頃からありました。子どもの頃、虫歯の進行を止めるサホライドという薬で歯が黒くなっていた時期があり、歯のことをなんとなく気にして育ちました。中高生になって歯並びが整い、それがいつしか密かな誇りになっていきました。笑い声がうるさいとよく言われましたが(笑)、それも遠慮なく笑えるほど歯に自信があったからだと思っています。

02 中高・大学時代 ── 体をつくり、志を持った頃

中学では野球に打ち込みました。人一倍真面目に練習を重ね、体の基礎をつくった時期です。スポーツテストで学年1位を取れるほど体が仕上がっていきました。

高校ではボート部へ。中学から積み上げてきた体が活き、高校でもスポーツテストは学年1位。体育委員長も務めました。国体・インターハイ・全国選抜に出場し、有名大学からスポーツ推薦の声をかけていただけるほどになりました。

国体では、入賞まであと一歩というところでミスをしてしまいました。実力はあった。それだけに悔しさが深く、今でも心に残っています。「結果への執着」と「悔しさを忘れない」ことの大切さは、この経験から学びました。

この頃、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を通じて、福沢諭吉の言葉に出会いました。「一身独立して一国独立す」。自分の足で立つことが、まわりや社会への貢献につながる。その考えは今も経営の根本にあります。

進路を考えたとき、スポーツ推薦の誘いよりも「世界の多様な価値観を知りたい」という気持ちが勝りました。欧米だけでなく、当時は対立構図で語られることの多かったロシアやイスラム圏の思想にも触れたい。そう考えて同志社大学へ進学しました。国体を終えた11月から本格的に受験勉強をスタートし、合格を手にしました。

大学時代は、バックパッカーとして約1年間・世界40カ国を周遊しました。一泊200〜300円の宿に泊まり、汚い布団で眠る毎日。今ではもうできないと思いますが、あの頃は純粋に楽しかった。そして、学校教育で学んできた「世界」とは全く違う現実があることを、肌で知りました。人間の暮らしのリアルに触れたこの経験は、物事を見る解像度を大きく変えてくれました。

並行して、人力車の仕事もしていました。日本の文化をもっと深く知りたい、仏教や神道、お寺や神社の歴史を理解したいという気持ちから始めました。京都検定も受けましたが3級止まりでしたが(笑)、この仕事で得たものは今も残っています。お客様にとって特別な時間をつくり上げること、その責任を一人で担うこと。人力車を引きながら、「人に喜んでもらう」ことの重さと喜びを、身をもって学びました。

03 社会人 ── 野村證券から歯科業界へ

新卒で野村證券に入社しました。祖父母が金融投資で大きな損失を被った経験を間近で見ていたこと、そして「厳しい環境で自分を鍛えたい」という気持ちが重なり、第一志望として選びました。

野村で教わった言葉が、今も自分の根っこにあります。「モチベーションで仕事をするな。」「恩返しではなく、次世代に恩を送る。『恩送り』をしろ。」精神的な軸をもらえた時間でした。

その後、経営や組織に近い場所で働きたいという思いから転職を重ねました。外資系ITスタートアップ、ベンチャーコンサルファームと、再現性が一切ない、「こんな経歴の人はいないだろう」という道を歩んできました。なぜか転職するたびに、労働基準法を軽やかに超えた環境にばかり飛び込んでいました。朝3時までデータクレンジングをして仮眠を取り、7時から仕事を再開。自分がファシリテーターを務めるMTGが5時間連続で続く日もありました。今思えばよくやっていたと思いますが、それでも一貫して問い続けていたのは、どのような組織が大きくなるのか、成長していくのか、どんな人が評価されるべきか、どのような人が自社に適合するのか、ということでした。

ベンチャーコンサル時代に叩き込まれたのは、クライアントよりも成果にコミットすることの大切さでした。誰がどう思うかではなく、結果を出すことが仕事である。その考えは今も自分の仕事の基準になっています。

歯科業界に踏み込んだのは、偶然のご縁からです。出資元でもある株式会社CINCA在籍時、ある大手企業で、歯科医院向けの転職サービスに1年間携わりました。そこで多くの院長と話すうちに、共通する課題が見えてきました。採用コストは高い。でも採用して終わり。定着させる仕組みがない。組織の土台が整っていない。そういう医院が、思っていた以上に多かったのです。

「採用から定着まで」を一貫して支援する会社をつくろうと決めたのは、その経験からです。診療報酬という制約の中で懸命に働く歯科医療の現場を、採用・組織づくりの面から支えること。それが日本の医療の基盤を守ることにもつながると信じて、この事業を続けています。

まずは気軽にご相談ください